フィリピン映画『たとえ嵐が来ないとしても』感想|ユーモラスで不思議な世界

イメージフォーラムでフィリピン映画『たとえ嵐が来ないとしても』を観ました。まず、ナカデミー賞ノミネートおめでとうございます!🎊 

久しぶりにイメージフォーラムでアジア映画を観たけれど、そうそう!アジア映画ってこんな感覚だったなと、忘れていたものを思い出しました。気づけばいつの間にか洗練された韓国映画ばかり観ていて、『ジャッリカットゥ 牛の怒り』を観ていた頃が懐かしいです。

さて、『たとえ嵐が来ないとしても』ですが、台風が過ぎ去ったフィリピンの瓦礫の街で、登場人物たちがそれぞれ違う道を選んで進んでいく物語です。主人公と恋人、母親らは再び台風が来るという事で、最初は一緒に行動していたのに、次第にバラバラになっていく展開に。

恋人は、犬の怪我を治した?ことをきっかけに、教祖としての自分を見つけていき、街に残って歌を歌い始めます。一方で、母親は昔の旦那を探し続けていて、最終的に再会を果たします。みんなそれぞれ希望を持って行動してます。それもこれも自由だよな。

主人公はというと、母親と恋人と一緒にマニラで新しい生活をする夢を抱きつつ、「台風は来ない」ってアナウンスされてるのにフェリーに乗り込むんですが、彼は出発を前にしても彼女らを待っているかのような感じがラストシーンの余韻として残りました。

それにしても、フィリピンの人たちがどんな状況でもクリスマスを祝う姿は本当に印象的でした。瓦礫の中で祝祭してる原色の光がチープで綺麗だった。フィリピンの人々の強さや、どんなに大変な時でも希望を持ち続ける気持ちなのかな。あと大人よりも子供の方がしっかりしてたよね、略奪したり。たくましいよ。

全体を通して、この映画は韓国映画みたいに派手な展開はないけど、それぞれが選ぶ道や希望がオフビートでユーモラスに描かれていて、どこか心に残る作品でした。フィリピン行きたい。

英題の “Whether the Weather is Fine” は音の響きが似ている「Whether」と「Weather」を使ったタイトルで、日本語タイトル『たとえ嵐が来ないとしても』と比べると、英題にはやや軽いダジャレ的なユーモアがあったのね、これ書いてて気づいた。